“悪魔の力 身につけた”ベッドが、人間を含め、可食可能な物質なら何でも喰らうお話。酸で溶かす系の捕食なのに、なぜかりんごの芯やフライドチキンの骨はきっちり残す。さらに演技力に疑問を感じる俳優たちの無表情。ストーリー的にも演出的にもツッコミどころ満載。前衛的な映像が続くが、角度を変えて芸術作品として観れば、割と満足できるカルト映画。
健啖な”人喰い”ベッドの映画『Death Bed: The Bed That Eats』
絶対数は少ないが、無機物が人を襲う、食べる系の映画に興味は尽きない。
その中でも家具系のジャンルに相当するベッドが、食欲旺盛に人や人以外の食べ物も喰らう映画、『Death Bed: The Bed That Eats』を観ました。
本記事では、映画『Death Bed: The Bed That Eats』そのものの解釈に加え、作中に登場する Austin Osman Spare の絵にも言及し、個人的に踏み込んだオカルティックな考察を試みます。
前半は「映画」、後半は「スペア考察」の 2 本立て構成です。
あらすじ
人里離れた場所に建つ廃屋敷。その地下に、悪魔の流した血の涙で怪異化したベッドがあった。
理由は分からないが、そこへ引き寄せられるように人々が侵入し、ベッドの上で眠り込んでしまう。
ベッドは、人間を食べる前菜として人間の持ち込んだ食料品を盗み食いするが、不可食部だけは残すという妙な律儀さを持つ。
奇しくも同時期に公開された、家が人間を喰らうカルト映画『HOUSE』とは異なり、こちらはベッド限定で、さらに酸で溶かして消化するタイプの捕食だ。
とはいえ、人間を食べる際にはなぜか衣類や骨までも跡形なく消えてしまうこともある。
基本的には、ベッドが淡々と人を食べ続けるだけの奇妙な作業のような映画である。
アート作品を楽しむつもりでみないと、鑑賞は退屈かもしれない。
鑑賞直後の感想
ベッドが人間を食べるホラーという先入観で観ると、どうしても人間が捕食されるときの肉体破壊シーン、それこそ血湧き肉弾け内臓がこぼれ落ちる――そんなグロい映像を期待してしまうため、物足りなさが強かったです。
この作品はホラーというよりもアート寄りの映像作品であり、「食人無機物」というジャンルとして観ると、どうしても違和感が強い。要するに、ゴア表現を求めてB級ホラーを観る人が望む方向とは、まったく別物として仕上がってしまっている映画でした。
しかし決して駄作ではなく、奇妙な映像体験としては十分に“カルト映画”と呼べる個性と魅力がありました。
鑑賞直後に抱いた最初の印象は、「評価の難しい映画だな」というものです。
気になる絵がある
屋敷の中に一枚の絵が飾ってあります。その奥に、物語の核心に関わる人物が封じられているのですが、ネタバレ防止のために詳しく触れることは避けます。
ともあれ、最初に気になったのはその絵そのものでした。
何処かで観たことがあるようなタッチの絵で、妙に心が惹きつけられ、気になって仕方ありません。調べてみると、それがオースティン・オズマン・スペアの作品だとわかりました。
その瞬間、正に目からウロコです。この絵の存在によって、映画全体のテーマ性が朧気ながら見えてきました。寓意的で象徴に満ちた映像の断片が、一つのまとまりとして繋がっていく感覚がありました。
とはいえ、スペアの名とその世界観を知らなければ、「それで?」で終わるでしょう。映画自体も「奇妙なだけで、ホラーとしては今ひとつ」と感じて終わるはずです。
結局この作品は、どこを入口に観るかで評価が大きく変わるタイプの映画なのだと理解しました。そこに気づけば、魔術的オカルティズム(occultism)満載の秘儀的作品として輝き出す――そう思いました。
では、なぜスペアの絵がここまで印象を変えたのか。少しだけ背景に触れておきたいと思います。
オースティン・オズマン・スペアとはどんな人物か?
スペアという人物について簡潔に
Austin Osman Spare(1886-1956)
- 英国ロンドン出身の画家・魔術家
- 銀の星(A∴A∴)への参入経験あり
- 黄金の夜明け団(G∴D∴)やクローリーと関わるも決裂
- 独自の魔術体系「Zos Kia Cultus」を築く
- 無意識の表現としての 自動描画 を芸術と魔術の中核に据える
- シジル魔術の祖
- 日本ではスペアのケイオス魔術として書籍で紹介されている
一般的なアート史ではほぼ無視されているが、オカルト界では 20世紀最大の秘教的天才 とされる。実に魅力的な、独自のタッチの絵を書く、そして上手い。私はスペアの絵のファンです。
スペアとシジル魔術の核心
スペアの魔術理論は極めてシンプルで強烈である。
- 願望を言葉にする
- 文字を変形させ、印形(シジル)へと変換する
- 自動描画のように潜在意識へ沈める
- 意識から忘れ去ることで魔力が働く
一例を上げると、電話片手に会話しながらもう片方の手で、メモ用紙に無意識に落書きした意味のない図形。ケイオス魔術では、それさえも印形として何らかの意味を持ち、その印形を金属板に彫り込むことでタリスマン(Talisman)とも成り得たりする。
映画にスペアの絵が登場した意味
こうした背景を理解していると、映画にスペアの絵が登場した時点で「意識の抑圧と解放」や「願望の象徴化」 というテーマが立ち上がってきます。
ベッドが淡々と人を食べ続けるだけの奇妙な映画――、
その背後に、名状しがたい魔術的・秘教的メッセージが隠されているのではないか?
そう思わずにはいられませんでした。
もはやこれは、単なる “食人家具映画” ではないのでは?
そんな感慨を禁じ得ません。
残念ながら私には、この作品が秘めている崇高なテーマを完全に読み解くだけの知識も読解力もありませんが、少なくとも鑑賞直後とはまったく異なる視界が開けた――、
それだけは確かです。
実際、日本ではスペアの知名度は極めて低いのか、映画情報サイト Filmarks のレビューでも、
作中に登場する絵について触れている感想は、私が見た限りでは見当たりませんでした。
おそらく大半の人は、絵の飾られているメッセージ性に気づかないまま映画を終えるのだと思います。
よってこの作品は、どの角度から観るかで、まったく異なる顔を見せる映画なのだと気づきました。
『Death Bed: The Bed That Eats』のまとめ
本作『Death Bed: The Bed That Eats』は、その制作と流通の過程もまた、映画そのものと同じくらい奇妙で混沌としていた。
Source: English-Wikipedia “Death Bed: The Bed That Eats” によれば――
撮影が終了した後、監督ジョージ・バリーは約4年を費やして編集を行い、1970年代末に作品として完成させた。しかし、いざ配給会社に持ち込むと上映は拒否される。
その後、持ち込まれたフィルムを元に、監督の知らぬ間に海賊版VHSが出回り、一部でアンダーグラウンド的に“人を喰うベッド映画”として広まっていく。そして口コミを通してカルト的な人気を獲得したことで、潮目が変わる。
やがて2003年、サンフランシスコ独立映画祭で正式上映が実現。同年、アメリカのインディ系レーベル Cult Epics から DVD がリリースされ、ついに公式の形で世に出る。――制作から実に約25年を経て、ようやく陽の目を見ることとなったのである。
映画が世に出るまでの、この“混沌とした数奇な運命”。
個人的には、そこには単なる流通事情や偶然以上のもの――すなわち、作中に登場する オースティン・オズマン・スペア の絵画・思想(“Zos Kia Cultus”)に由来する因果が、“忘れられた呪文”のように作用した可能性があるように思えてならない。
この映画が正規作品として顕現できたのは、単なる再評価ではなく、現実の裏側で“魔術的な原理”が静かに働いた結果なのではないか――そう考える余地もある。
つまり本作は、単なるB級ホラーではなく、呪文のように封じられ、長い眠りを経て、再び姿を現した “儀式としての映像” なのかもしれない。
