生放送された深夜のトークショーという設定のホラー映画
『悪魔と夜ふかし/Late Night with the Devil』は、生放送中のトーク番組を舞台に、怪奇現象が連鎖的にエスカレートしていく演出が魅力のオーストラリア産ホラーです。生放送ならではの“取り返しのつかなさ”が、時にちょっとギャグっぽくも感じられて、多重の意味で面白い作品です。
日本でもよくある心霊番組の、自称・霊能者が登場して何かしらの能力を披露するが、懐疑派がそれを否定していく、基本そんなノリです。
しかし、懐疑派が否定しても否定しても否定しきれない怪奇現象が立て続けに発生する、非現実感がたまりません。
一昔前は、視聴のために映像ソフトを購入する必要がありましたが、今は一部の配信サービスで配信されています。『悪魔と夜ふかし』という邦題もつきました。日本語字幕も付いているはずです。
視聴率低迷を挽回するため、MCは生放送中に視聴者を驚かせる“数字の取れそうな企画”を次々と打ち出していきます。
霊能力者、超常現象研究家、そして霊媒体質の少女──
ハロウィンの夜にふさわしいゲストが呼ばれます。
しかし、よくある心霊特集かと思いきや──番組が進行するにつれ、発生する非科学的な現象は「信じるも信じないもあなた次第」では済まされない領域へ突入していきます。
『悪魔と夜ふかし/Late Night with the Devil』の簡単なあらすじ
1977年のハロウィンの夜。視聴率低迷に苦しむ深夜の生放送トーク番組「Night Owls」は、起死回生を狙い、通常では考えられない企画を打ち出します。
MCのジャック・デラローチは、オカルト研究者や霊能力者をスタジオに招き、世間を騒がせた悪魔憑き事件の唯一の生存者である少女・リリーを特別ゲストとして登場させる。
「懐疑者の科学的解説 vs 超常現象」という定番の構図で番組は進行していきますが、次第にスタジオ内は非現実的な空間へと因果がねじれ始めます。
照明トラブル、機材の異常動作、出演者たちの動揺──
視聴者を驚かせるための演出だったはずが、やがて誰にも制御できない状況へと事象が暴走を始め、生放送の現場は悪夢の空間へと少しずつ変貌を遂げます。
果たして、番組は無事に終わるのか。そして、視聴者と出演者を待ち受ける運命とは何か──。
著作権への配慮のため(不特性多数へのネタバレの自粛)、ネタバレありあらすじの詳細はnoteに移します。
似非心霊特番的な演出のバランスが絶妙

序盤は特に大きな出来事もなく進み、霊能師クリストの“コールドリーディングのようにも見える”アプローチを取った霊視ショーが始まります。
相手の表情や言葉の隙を拾い上げながら、もっともらしい物語へと組み立てていく、あの典型的なスタイルです。
そして懐疑派ゲストとしてカーマイケル・ヘイグが登場します。彼は、数多くの超能力者のトリックを検証してきたジェームズ・ランディを思わせる存在です。
この、信じる者と疑う者──その対立構造が、心霊特番の独特の胡散臭いヤラセ感を思い出させます。
よくある、ありきたりな陳腐な霊媒師 vs 懐疑主義者 の構図を誇張気味に少々大袈裟に描いているのが、演出としてとても面白いです。
私の好きなジャーナリストであり超常現象の研究家ジョン・A・キールの著書を読んでいるような楽しさがあります。
そういえば、過去のオカルトブーム時代の日本の夏の定番、心霊特番「あなたの知らない世界」に登場する、放送作家の新倉イワオ先生の心霊解説が大好きでした。悲しい事に、氏は既にお亡くなりになられています。霊界への伝道師、丹波哲郎先生も既にお亡くなりです。
衝撃の“放送事故”
最初は何の問題もなく進行していた番組の空気は、中盤でゲストが突然体調不良を起こしたことで一気に凍りつきます。
次の瞬間、スタジオの中央の床にどびゅとじゃっかん粘度のある “黒いもの” が――、ざわめきが悲鳴に変わります。
その色は、血の赤の鮮烈さとはまるで違う、不法廃棄物の堆積で底が見えずメタンガスが発生するドブ泥のような黒さ。
視界に飛び込んできた瞬間、反射的に汚さで顔を背けてしまうような、原始的な嫌悪と不潔感があります。
この黒の質感には、ロドリゴ・アラガォン監督作品が好む表現――
『シー・オブ・ザ・デッド』『吸血怪獣チュパカブラ』『デス・マングローヴ ゾンビ沼』の、あの濃密な“ぬめり”を思わせる何かがあります。
いや 不潔って本当にいいものですね!(水野晴郎風)
いるんだ、悪魔
作中で登場するカルトが崇拝していたのは、アブラクサス(Abraxas)──悪魔です。「あっ、クマ」とかのダジャレではなく、モノホンの悪魔です。
洋画では “Devil” や “Evil Spirit” といった存在が、極めて自然に・頻繁に・普通に登場します。視聴者は、唐突な登場であろうが特に違和感も感じず、「あっ、いたんだ」程度で受け止めてしまう。登場人物も「あれは、実在したのか!」くらいの浅い反応しかしない場合すらあります。
あれはもう、文化的にそうした存在を受け入れる下地が、はっきりと出来上がっているからなのでしょう。
作品中で大きな意味を持ちそうなこの神性の存在は、一般常識的に
「グノーシス主義における神霊の一柱であり、後にキリスト教により悪魔として扱われた存在」です。
映画にアブラクサスを“信仰”の対象とするカルト宗教が登場しても、特別不思議ではないですね。
この『悪魔と夜ふかし』のことではありませんが、これまで科学的根拠に基づいて展開していたストーリーが、ある場面で突如として超自然的で非物質的な存在を物語の核心に据えて、「今までのは何だったのか?」と全部吹き飛ばしてオカルトエンドへ強引にねじ込むタイプの映画──あれ全般、大好物です。
スタジオにテルミン
劇中のスタジオにはなんとテルミンが!
オタクにとっては、アニメ『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom』で効果的に使用され、一時的に注目を集め名が知れ渡った電子楽器です。
この映画でも出番はわずかですが、原因不明の異常動作によって不気味なノイズを響かせ、スタジオを不穏な空気に染め上げる重要な役割を担っています。
愉快で楽しいモキュメンタリー
本当に生放送中に超常現象が起きたら──
一部の視聴者は湧きますが、その社会的混乱は大きいでしょう。
日本でも、1976年「ルックルックこんにちは」TV三面記事で紹介された掛け軸『渡邊金三郎断首図』の生首の目が生放送中に開いたということで騒動になり、放送局に問い合わせが殺到した例があります。
『Late Night with the Devil』には、その“生放送の狂騒”と同じ熱が再現されています。
また、作中に登場する懐疑者カーマイケル・ヘイグは魔術や催眠術に長け、多彩な技巧を誇ります。特に催眠実に関しては達人レベル、掛けている対象だけでなく周囲の人物まで巻き込むほど。
これがもし現実での出来事なら、TVの前の視聴者の反応はきっとものすごいことになったでしょう。
カーマイケル・ヘイグの魔術師の腕前も、自由の女神を消したデビッド・カッパーフィールド級かもしれません。
まとめ:良い映画だった!

スタジオ内という狭い空間で話が進むホラーなので、派手さはない──
と思いきや、実際はかなり映像演出が派手なホラーです。実際、見せ方がうまい。
ただ、私個人の感想としては怖がらせようとする気はあまりないホラー映画だと思いました。でも独特の不思議な雰囲気があります。
そして、これは“怖さの演出よりも物語の面白さが勝つタイプ”の作品で、ホラー耐性のある人ならかなり夢中になって楽しめると思います。
(世間一般ではどう感じられているのか分かりませんが、私はホラー映画を怖いと思っていませんので、最初から最後まで始終ワクワクしながら観ていました。)

